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明けましておめでとうございます

暮らし/その他

大忙しの年末

11月に赤影の第2話の感想を書いた後、ブログ更新が止まってしまっていた。

じつは、2週間ばかり入院していたのだ。

夜中に胸が痛くなり、これは朝を待ってはいけないやつじゃないか?という危機感から119番。
これまで両親の付き添いで何度も乗った救急車だが、逆に母に付き添われ自分が運ばれる羽目になってしまった。

最初は心筋梗塞かもなどと言われ、

“やべぇ、どうすんだ? どうなっちゃうんだ? 死ぬのか?”

と頭の中がぐるぐるしていたが、いろいろ検査したところ心筋梗塞ではなく、心臓の血管の内側が破れた冠動脈解離というものであった。
もし血栓が出来て心臓や脳の血管を詰まらせるとヤバイらしいので、まだ安心はできない。

とはいえ、検査のために足の付け根からカテーテルを突っ込んでなんかゴニョゴニョしただけで、治療のための手術をするわけでもなく、血管の自然修復待ちの入院となった。

集中治療室では、心電図など体のあちこちを機械につながれ、血圧計は常に巻かれ定期的に自動で作動し、点滴をつながれ身動きとれない状況になっていたため、

“改造人間にされるのか?”

などと妄想して気を紛らわせていた。

あちこち機械につながれつつも割とすぐに起きられるようになり、数日で一般病棟へ移ってからは飯も美味く、すっかり元気ではあったのだが、母がスマホを持って帰ってしまったまま中々持ってきてくれなかったので暇で暇で、不本意ながらデジタルデトックスとなった。

血圧抑制の薬や血液サラサラの薬など何錠も飲みつつ、なまった体を立て直すリハビリも順調にこなし、無事に退院することが出来た。2週間は長かったが大事に至らず本当に良かった。

薬は飲み続けなければならないが、今まで通りの日常が戻ってくる……はずだった。

 

一難去ってまた一難

私が退院して数日後、母が背中が痛いと言い出した。
さらに数日後、朝に起き上がれなくなってしまったのだ。
また救急車のお世話になってしまったが、なんと背骨を圧迫骨折していた!
今度は母が入院することに。

高齢者は骨折しやすいとはいえ、転んだり尻餅ついたわけでもないので全く予想外であったが、私の入退院でなにか負担がかかったのは間違いない。
だが幸いなことに手術もせず、コルセットを作って10日ばかりで退院することが出来た。またしても大事に至らずにすんで良かった。

 

11月上旬から目まぐるしく月日は過ぎ、気づけば12月中旬。
話はこれだけでは終わらず。

私の入院の何週間か前、住んでいる集合住宅の1階で水漏れがあったとかで2階3階と我が家にも調べに来た。
しかし水漏れ箇所の特定には至らず、その後音沙汰が無かったのでもう解決したものと思っていたが、私が退院すると母から水回りの工事をすることになったと知らされた。
我が家が原因と断定された訳ではなかったが、何十年も住んでいて設備が老朽化していることは紛れもない事実なので、風呂場の防水処置をする判断に至ったらしい。ついでに給湯器も交換することに。さらにキッチンの流し台も交換してくれるという。タダでやってくれるのは有難い。

しかし、工事前の下調べの日程が迫るなか母の具合が悪くなってしまったので、延期してもらったりしていたのだが、年の瀬で後が無いので母の入院中に業者対応をしなければならず、病院へ面会にも行きつつ合間に大掃除もこなすという、病み上がりだというのに体がいくつあっても足りないほどの忙しさになってしまった。

キッチンの戸棚や引き出しには長年しまいこんだままの要らないものが満杯で、少しずつ別の部屋へ移動させるだけでも大変であったが、なんとか片付けの目処が立ち、母の退院も工事日前日に決まった。

いざ工事が始まると、「襖と畳も交換しましょうか? 蛍光灯もLEDにしましょう」と修繕箇所がどんどん増えていき、さすがに畳の交換は辞退した。キッチンから移動させた物で足の踏み場の無くなったタンス部屋を片付ける余力はもう残ってなかった。

すべての工事が終わり、私の退院後の検査・診察も済むと世の中はクリスマスになっていた。

 

かつて無いほどの波乱の年末を乗り越え、私も母も元の日常生活を取り戻し、穏やかに新年を迎えることができた。

恒例のApple初売りでiPhoneを購入。

 

これまで大した病気や怪我をしたことが無く、自身の健康には無関心のまま過ごしてきてしまったが、医者からは減塩に気を配れと念を押されてしまった。食生活を急に変えることは難しいが、もう二度とこんなゴタゴタは御免だ。
もはや若くは無いのだと認めねばなるまい。認めたくはないが。

どうか今年は平穏無事に過ごせますように。

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